コラム

福井ひかり法律事務所の弁護士によるコラムです。

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導入
さて、福井ひかり法律事務所として、今年5月からコラムを掲載することとなりました。
今回はその初回となります。初回ですので、個別の法律の話よりも、弁護士としての姿勢を学んだエピソードについてお話しできればと思います。
 
本文
私は、ロースクールを卒業して弁護士になったあと、長島・大野・常松という法律事務所で法律家としての第一歩を歩み始めました。そこに所属していた者が言うのも何ですが、長島・大野・常松法律事務所には日本を代表する錚々たる先輩弁護士が各分野におられました。
 
そんな中、ロースクールを出たての生意気な若造だった私は「先輩何するものぞ」という感じでした。
今振り返ってみると、英語の能力はおろか弁護士としての能力も怪しいといった状況だったので、怖いもの知らずとしか言いようがありませんが、彼我の格差すら分からなければそのように突っ張れるのかもしれません。
 
しかし、仕事の年数を重ねていくにつれて、「できないことすら分からない」という状況を脱し始め、自分が如何に、法的な詰めが甘いか、英語が拙いか、依頼者への説明が未熟かといったことを痛感するようになります。
そんなある日のことでした。とある大先輩弁護士(X先生とします)の書いた英語があまりに洗練されたものだったので、なぜそのような文章が書けるのか尋ねたのです。そうすると、X先生はハーバード・ロースクールに留学されていた時に、著名な教授が書いた英語の法律の本を丸一冊書き写したというのです。ただでさえ忙しいロースクール留学時に、何百ページもある法律の本を書き写すというのは、並大抵のことではありません。これには心底驚きました。
正直、まだ(上に述べたような)先輩何するものぞという気持ちを持っていた私は、いかにも「自分は日本を代表する弁護士である」という雰囲気を漂わせているX先生に対して、密かな反発心・対抗心を持っていましたが、この時「この強い自負は伊達ではない」「このように優秀な人であっても、愚直な努力を通じて初めて、この輝かしいポジションにあるのだ」と、心から敬意を抱きました。
 
もちろん、現実の社会は必ずしも、努力が報われるとは限りません。そこで、愚直な努力を否定する誘惑に駆られたり、さらにややもすれば、社会で活躍している人についてバカにしたりするようなことがあるかもしれません。しかし、どんな分野であっても、常に前進しようとする人に対して敬意を忘れず、自らも学び続けること。そして、もしそういったことが正当に評価されない社会があるのであれば、それを全力で変え、公正で寛容な社会を作っていくこと。それが今社会を担う者としての、現世代と将来世代に対する責務であると思います。