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福井ひかり法律事務所の弁護士によるコラムです。

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集団的な意思決定について

2022年11月10日
最近、福井市が行う「未来の担い手プロジェクト」に出演させていただきました。「未来の担い手プロジェクト」は、若者の皆さんに政治に興味を持ってもらえるよう、様々な政治のテーマについて身近な例を取り上げるプロジェクトで、そういった活動に熱心な方々とのご縁で出演することになったものです。
 
その中で、まず集団的な意思決定について話しました。
「政治とは何か」という問いに対しては、様々な回答があると思いますが、1つには、「複数の人がいたときに、どういう手続きでどういう意思決定をするか」と定義できると思います。
 
この点、民主主義国において政治の根幹をなす選挙ですが、多くの選挙では、単純多数決、すなわち一人の有権者は一人の名前を書いて、一番名前が書かれた人が勝つという仕組みを取っています。しかし、勝者の決定方法はそれだけではありません。最近では高校の教科書にも載っているので聞いたことがある方もいらっしゃるかと思いますが、ボルダルールでは、自分が望ましいと思う順に(例えば3人候補がいるのであれば)上から3点、2点、1点と付けていき、合計得点が一番高い人が勝つ仕組みです。
単純多数決の欠点が現れるのは、いわゆる票が割れる時です。有名な事例としては、2000年のアメリカ大統領選挙で、最初は(リベラル系の)ゴア対(保守系の)ブッシュという構図で、ゴアが若干リードしていたのですが、ゴアよりもリベラルのネーダーが立候補したことにより、リベラルの票が割れてしまい、ブッシュが勝ったのです。ネーダーの支援者にしてみれば、ゴア対ブッシュであれば明らかにゴアに当選してもらいたかったのですが、自分たちにとって最も望ましいネーダーが立候補したことで、最も望ましくないブッシュが当選してしまうという悲劇が起きたのです。
しかし、この結果は、大統領選挙がボルダルールによって運営されていれば起きなかったことでした。(もちろん、誤解のないように付け加えると、ボルダルールが常に正しいと主張するわけではありませんが。)
 
よく「民意」と言われますが、「民意」というはっきりしたものがあるわけではなく、客観的に見れば、ある集計ルールに基づくアウトプットにすぎません。であれば、単純多数決を「民意」として絶対視するのではなく、どういう集計ルールはどういう特徴があるのかというのを客観的に分析して、適切な決定方法を決めていくという態度が必要なのではないかと思います。
考えてみれば、かつてのオリンピックの開催地の決定方法は、下位が脱落していくというルールですし、単純多数決以外の決定方法も馴染みがあると思います。
政治を考える際の一つの(しかし非常に重要な)ポイントとして、決定方法について考えてもらえると面白いのではないかと思うこの頃です。